今から約26年前…私は、大阪の病院のICUで働く看護師3年目でした。
当時は訪問看護の仕組みや介護保険制度もなく、母親が祖母を自宅で看取りました。訪問看護ステーションを立ち上げようと思うきっかけになった、その時の事をお話ししたいと思います。
実家で見た、初めての在宅看取り
祖母の急変を知り、看護師である姉と相談し日程を調整し、師長に相談して実家に戻りました。実家に戻ったのは何年ぶりだったのか?覚えていないぐらい、仕事中心の生活をしていました。
実家で見た光景は、天井にはS字フックにかけられたヴィーンF500mlの点滴2本と抗生剤の点滴。病院で使用されていたであろう、ボトルに吸引チューブが入っていました。
ICUでは、清潔・不潔で先輩ナース達に厳しく指導を受けていた私にとっては病院と在宅での違いを目の当たりにし驚いたことを覚えています。今のように、訪問看護で自宅へお伺いするような実習はない時代でしたからね。
実家に到着した時の90歳代の祖母は、誤嚥性肺炎で意識レベルは3桁台。病院から往診医が病状に応じて診察に来てくれていました。祖母とは話がしたくても、もう話すことも出来ない状況でした。
おばあちゃんが大好きだった私は、めちゃくちゃ後悔しました。
なんでもっと、おばあちゃんに会いに実家に戻らなかったのか?って…
実家では吸引や点滴を交換したり手伝っていました。ある時点滴をしているのに、母親がポカリスエットを口から飲ませようとしていて、祖母は激しくむせてしまった事を鮮明に覚えています。
この時代には、とろみ剤はないですからね〜〜。むせますよね。
何してるん!!
って母親を責めたことも覚えています。
医療従事者の当たり前と家族にとっての当たり前との違い。
そのころは、在宅看護の実態も全く知らず、ICU看護師3年目。まだまだ知らないことがたくさんある看護師でまだまだ未熟。人としてもまだまだ、器が小さかったんですよね。
目線を変えることの重要性に気がつく
当時の私は母親がポカリスエットを祖母に飲ませようとしたことに対して腹を立ててました。誤嚥性肺炎やのに!!って。この出来事を、ポカリスエット事件と呼んでます。
一旦、私は大阪に戻り通常勤務再開。その1週間後に祖母は天国へ旅立ちました。最期は間に合いませんでしたが…
ポカリスエット事件は、私自身の人間性や器の小ささや知識のなかったことが原因で腹が立ったエピソードだったんだという事に気がつくまで少し時間がかかりました。
当時の私の視点は、医療従事者としての目線。誤嚥性肺炎イコール絶飲食…
母にとっては、何も口から飲んでいない祖母に何か口にしてもらいたいという思い、当時の私では考えられなかった家族の目線だったんですよね。
医療従事者の当たり前と家族にとっての当たり前との違い…
実はこの出来事が、私を訪問看護を始めるきっかけになったエピソードなんです。看護師としても、まだまだ未熟で器も小さく、もう少し何かしてあげれたんじゃないのか?母親にもっと違う言葉をかけれたんじゃないか?っていう後悔の気持ち。この後悔の気持ちは、ずっ〜〜〜と忘れていません。
このエピソードから、相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考える。
医療従事者、看護師としてだけではなく、
- 私が家族だったらどう思うのか?
- 家族の思いや気持ちを少しでも叶えてあげれる方法はないのか?
私が看護をしていく中で、考えるようにしている事です。
祖母との在宅看取りというエピソードとの出逢いがあったからこそ、医療従事者としての目線だけでなく、目線を変えて考えることの重要性に気がついたと思っています。
相手を思いやり、出逢いに感謝すること
縁起でもない話をする
祖母を看取った後、私は両親に縁起でもない話をするようにしています。(受け入れてもらうまでに、4年ぐらいかかりましたが…)
もし話ですね。
今でこそ、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)など話すようになってきていますが…
もう、人生で後悔するようなことはしない。だからこそ、訪問看護はやり甲斐があるんですよね。利用者さんやその家族には、私のように後悔して欲しくない。だからこそ、訪問看護ステーションを立ちあげます。
後悔しないように、人生やりたいことやチェレンジしたいことはやる!今を自分らしく生きるために…
祖母に誓って。